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ユニセフ・コンボイ 

10月17日(水)午後6時。

ユニセフのミーティングにオブザーバーとして参加した。場所は、クエッタの最高級ホテル「セレナ」の一室である。パキスタン、アフガニスタン、フィリピン、ナイジェリア、オーストラリア出身のユニセフ・スタッフ10人をフランス人のDR.ラローシュがリードする。

内容は、スタッフへの激励から始まり、空爆激しいカンダハルでの活動の注意、冬に向けての調達物資の確認、スタッフの保険というように、DR.ラローシュからの連絡確認事項が中心だ。会議はテンポよく進む。ところが、話題がポリオのNID(National Immunization Day: ワクチン全国一斉投与)に及んだ時である。あるスタッフが「戦争が始まって以来、ワクチンの値段高騰に苦労している」と口にした途端、DR.ラローシュの感情が動くのがわかった。

「ユニセフのルールを知っているだろう。なにか問題にぶつかったら、まず子供たちの利益を考えろ。子供たちに予防接種を受けさせるのが我々のミッションじゃないか。戦時中は物価があがるのは当たり前だ。いいから金を払え」

 

10月18日(木)午前8時。

クエッタ郊外のユニセフ倉庫の敷地に重厚なトラックが並ぶ。カンダハル行き7台、ヘラート行き3台の計10台である。どれもパキスタンで見るトラックにしては若干地味目である。搭載しているのは、テント、毛布、薬、ファミリーキット(マッチ、コップ、バケツ等日用品のセット)、水タンク、ビニール製のフロアシートだそうだ。

フランス国営テレビ・アンテンドゥの取材を受けるDR.ラローシュから少し離れて、エチオピア人のアラヤ・アセフは自分が仕立てたトラックを見つめながら言う。

「わたしのような年齢になると、子供たちのためになにかしてやりたいと思うものだよ」ユニセフの仕事を始めて15年のアセフ氏は66歳である。パキスタンでは10月2日から6ヶ月契約で活動している。

 
ユニセフ事務所(参考)
 
ユニセフ倉庫
 
搭載作業
 
アラヤ・アセフ(右端)
 

準備完了
 
アンテンドゥの取材

ハザラ人

「死んだ方が幸せな奴ら」とアフガニスタン最大民族であるパシュトゥン人に蔑まれているのがハザラ人である(そうだ)。それにしてもひどい言われようだ。

ジンギス・カーンの末裔といわれるハザラ人は、アフガニスタンでは目立つ。しかも、少数派のイスラム教シーア派である。外見も信仰も多数派に属するパシュトゥン人にとっては、ハザラ人は迫害の対象になりやすいということか。最近では、今年(2001年)1月と2月に数百人が虐殺されたそうだ。ユニセフもそんなハザラ人とハザラジャートの特殊性を重要視し、最優先で救援活動を行っているという。

ハザラ人は、クエッタでも目に付く。いわゆる難民が多い。髭が濃く精悍なパキスタンの男たちのなかから、彼らを見つけるとほっとする。日本人とは多少違いはあるが、それでもぐっと親近感が湧く。「(目が細くて)中国人みたいだろ?」とDRラローシュが自分の目の両端を引っ張って無邪気に言うが、私にやるのはどうかと思う。

クエッタ空港のチェックインカウンターで、明らかにハザラ人と思われるPIA職員を見つけた。珍しいなと気になっていると、むこうから笑顔で話しかけてくる。 「どこから来ました?日本?私の家族は、祖父が50年前にクエッタに来たんです」 イスラマバード行きの搭乗券をもらう短い間での会話である。

PIA職員は、B737のシップサイドにも現れた。乗客の切符をもぎるのだが、他の日本人にも笑顔で話しかけている。異質な世界での、同じ遺伝子の邂逅を楽しんでいるのだろうか。「お互い遠くまで来たもんだなあ」というふうに。

(クエッタ 2001年10月17日〜10月18日)

 

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